宅建士に憧れたある出来事

私はどこにでもいるようなごく普通のサラリーマンである。そしてごく普通の世帯も持っている。特に不便には思わないものの、少し手狭なマンションを借りて一家で生活している。戸建てというものにそれなりにも関心があり、一国一城の主というなんとも殿様気分を味わわせてくれそうな生活もやはり憧れがある。そういった日常の中で、賃貸暮らしのファミリーの人であればモデルルームへ足を運んだ人も少なくないのではないだろうか。

 

私自身、過去にそういった場所へ足を運んだ時のことなのだが、毎度決まって出くわすのが現地のスタッフから住宅関連について呪文のように唱えられる多種多様な情報である。やれけんぺー率だの建築基準だの。なんとなくイメージが湧くようなものもあれば、まったくちんぷんかんぷんなものも普通にある。こちとら根っからの素人なもんで、特に有益でない限り本来スルーをしたいところだが、内容によっては少し気になるようなものもある。

 

もともとアウェイな状況下で受け身がちの雰囲気では、入ってくるものもあまり理解できずにうんうんと頷いている自分がいるのもこれまた事実。おそらくだが、会って数分の見ず知らずのお兄ちゃんに呑み込みが早い自分を多少なり演じようとでもしているのだろう。はたからすると非常に滑稽でお粗末である。元来バカマジメな私にとって、本音は若干不本意である。

 

宅建士の勉強の中で、 ”法令上の制限” という科目がある。これは要するに土地の利用に関する制限の内容で、例えば家を建てる時の階数の制限や、広さの制限などがそれに該当する。こういったことを法によって規定しているようである。

 

…ん、待てよ。たしかあの時こんなことを言っていたなぁ。

今やっと、点と点が一つの線でつながった。あの時熱心に説明をしてくれた人が宅建士の資格を持っているかどうかはわからないが、とにかく私の目には博識で住宅マスターのように光輝いて映ったのはたしかである。…とまぁ多少大げさではあるものの、とにかく羨望の眼差しで見つめていたような記憶が残っている。

 

これからマイホームを夢見ている自分にとって大変有意義な目標を手にすることができた。そんな、風見鶏のような私である。

 

 

 

〇〇士というもの

弁護士・税理士・技術士行政書士etc…。

この世にはありとあらゆる職業があるが、このように”〇〇士”といったような、なんとも高尚な響きの職業も多数存在している。自分のような凡人は、聞くだけで「ははーっ」とひれ伏してしまいそうである。かつてドラクエシリーズの職業システムで、天地雷鳴士なるものが出てきた衝撃は今も忘れられない過去となっているのは一つの余談として。

 

現在私が粛々と勉強中である宅建士も例に漏れず堂々?と、そのグループの仲間入りを果たしている。もちろんそれぞれに難易度や勉強時間の目安が違うので、まったく同じようにと肩を並べるつもりは毛頭ない。ケーキ屋のケーキがそれぞれ値段が違うのと同じであるように、食べて美味しいといってもらうという目標は同じだが、感動のさせ方が違うのである。

 

実際には、とても専門性の高いものもあれば、独学でも勉強すれば資格取得も夢ではないものもいくつか散見された。もちろんこれは完全に主観であり、大きな偏見もあるかもしれない。しかし、やはり自分自身の体調は普段から自分がよく分かっているし、自分の趣味趣向も然りであり、身の丈に合った暮らしがなんとも過ごしやすい。ちょっと馴染みやすそうだなとか、いわゆるその程度である。

 

 

という風に、私が資格取得に向けて燃え始めた小さな炎という動機は大層不純なものだが、今のところそれはそれでよいと思っている。これは決して正当化するつもりでもなんでもなく、動機というものは後から何にでも塗りかえられると思っているから。

 

利いた風な口をきくならば、すべては結果なのである。

 

 

初学者に立ち思うこと

夜な夜な目下勉強中である。そう、宅建士取得に向けて。

 

何年か振りにテキストを見て勉強するというのはなかなか大変である。例えるなら、これまで寝床として使っていなかった場所に布団を敷いたようなもんだから、やはり内容がすんなりとは入ってこないし、妙に落ち着かない。当然頭の中はすぐにはてなだらけになる。とはいえ、反対に不思議とワクワクするような高揚を感じることもできるし、こういうものも悪くないなと悦に入る時もある。

 

実際には教材のページをめくるにつれ、知れば知るほど良いこともあればあまり良くないことを知ってしまうのも世の常というもの。苦手なことに対しては見て見ぬふりを決めこみたいところだが、こと勉強となるとそういうわけにもいくまい。薄目でも内容に目を通さないといけない。

 

個人的に何が一番不安かというと、あまり本質を理解できてないうちに今までの経験や裁量で諦めてしまうこと。一番の敵は自分自身とはよく言ったものだ。何よりも邪魔者である。そうはならないと決めてかかっても、未来の気分なんて未知数に近いようなものだから。

 

だから私が今回この勉強に取り組もうとした時に一つだけ決めたことがある。

それは、資格を取得できた場合の設計図を書かないこと。大きく資格取得という目標は持ち、それからのことは何も考えないことにした。転職だとか資格活用という話は二の次である。何度も言うが、これは特に目的も持たずに始めた資格取得への挑戦である。肩肘張らずにやるには、考えついた結果これしかなかったのだ。

なんの取り柄もない中年サラリーマンが、ある日突然宅建士を目指してみた

世間はコロナ禍。

世界中で特別な時間が長く続いている。自粛生活の中で自分を見つめ直す時間も多い。

 

…待てよ、幸いにも自分には健康と時間だけはあるじゃないか。

この未知のウィルスを沈静化させる能力は持ち合わせていないが、自分自身を少しでもパワーアップさせるための時間はいくらでもあるじゃないかっ!

 

というわけでシンパシーをリュックに詰め込み、街の図書館へ。

そこで色々と物色している内に、なんかとってもかっちょいー響きのワードが。

「…宅建、士?」

学研のおばちゃんならよく聞いたもんだが、宅建というものにはあまりなじみがない。

 

フムフム、要するに家に詳しい人のことなのね。

しばらく立ち読みすると、ぼんやりとはイメージが湧いてきた。

イカイカン、ここであまり深く理解しすぎてしまうとマイナスな情報まで吸収し、妙な先入観も生まれかねない。

 

そうして無造作に貸出カゴへ放り込み、そそくさと帰路につくワタクシなのであった。

 

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